『ゲホッ!ゲホッ!』 マァの一撃で大きく後方へ吹き飛ばされたハングリは胸部を強打し、激しく咳き込んだ 口の中が鉄の味で充満している・・・どうやら吐血してしまったらしい ハングリは口に貯まった血反吐を吐き捨て、乱れた呼吸を整えつつ、さらなる追撃がないか素早くマァの姿を目で追った するとハングリの目に映ったのは、地面に伏したまま動かなくなったマァの姿 気を失ったせいか、いつの間にか“怪物”の変身が解けていた 深手は負ったものの、あの“化け物”を退けたことでハングリの中に安堵感が広がる しかしそれも束の間、ハングリの頭の中に新たな疑念がムクムクともたげ始めた “アイツ”は一体、どこへ消えた?― ハングリはハッとなって、素早く周囲を見回し、“アイツ”―マイハの姿を探した だが、前後左右どこを見ても、マイハの姿はなかった 逃走した?いや、そんなことはあり得ない この辺り一帯はハングリが結界を張ったフィールド。ハングリが解除しない限り、何人たりともこの結界から逃れることは不可能 ではどこかに隠れた?そんなハズはない この真っ平らな場所に、身を隠すところなど存在しない マイハは一体、どこへ行った?・・・そう思考を巡らせているハングリの目に、奇妙なものが飛び込んできた 伏したままのマァの傍らを、栗鼠のような小動物がせわしなく動き回っていたのだ (なんだ?あれは・・・?) 見たことのない生物がいつの間にか侵入してきたことにハングリは首を傾げる この決闘の最中、あんな小動物の姿など見ていないのだ 一体、どこに潜んでいたというのだ? その光景をぼんやりと眺めていると、ハングリの頭の中にもたげた疑念が一気に吹き飛んでいく出来事が起きた マァの傍らを駆け回っていた小動物が動きを止めたかと思うと、突然、その姿を少女へと変えた 見覚えのある姿・・・マイハだ! そう、マイハはその身を栗鼠の姿へと変え、ハングリの懐からするりと抜け出たのだ ようやくマイハが姿を消したカラクリに気付いたハングリは激昂する もし、マイハがおとなしくさえしていれば、こんな深手など負わずに済んだのに・・・ そう思うと、身体の痛みも怒りで忘れそうになるくらいであった ヨロヨロしながらも両の脚で立ち上がり、マイハに向かって怒りをぶつけた 『てめぇ・・・余計なことしやがって!待ってろ!今すぐぶっ潰してやる!』 だが、激昂しているのはハングリだけではなかった マイハも、静かに怒りの炎を燃やしていたのだ 啖呵を切ったハングリをキッ!と睨みつけ、いつにない強い口調でこう言い切ったのだ 「許さない・・・!あなただけは許さない・・・絶対!」 普段怒りの感情を露にしないマイハが初めて見せる激情・・・ その様に、あろうことかハングリは無意識の内に気圧されてしまった (チッ!何なんだあのガキは!?) あんな背も小っこい、非力な子供ごときにビビってしまったことを恥ながら、ハングリは身体の痛みに耐えながらマイハに突進していく (あんなガキ、ワンパンKOしてやる!そしてその後はボッコボコだ!) マイハは動く気配がない・・・いざとなって怖じ気づいたか? そう思いつつ、ハングリは怒りを籠めた拳をマイハに向かって振り下ろした! 『オラァ!』 負傷したとはいえ、ハングリの豪腕は健在である もし、この一撃をまともに受けたなら、マイハはひとたまりもないだろう ただ、それはあくまでも“もし=if”の話である いかな剛拳でも、当たらなければ意味はない そして、ハングリの拳はマイハには届かなかった 「・・・710驚く『閉城鏡』!」 そう叫ぶと、マイハはハングリの拳に合わせて両手を前方に突き出す すると、マイハの両手の前に分厚い氷の壁が現れたではないか? その厚さたるや、ゆうに1mは越えている 『なっ・・・!?』 生身のマイハを殴ることしか考えてなかったハングリの拳は、心の準備が整わぬまま分厚い氷の壁をぶっ叩いてしまう 無論、ハングリは自慢の拳を痛めてしまった 『くっ!?てめぇ・・・よくも嵌めやがったな!』 マイハにしてやられたハングリは唇を噛み、怒りと悔しさを露にする その様を見たマイハは、わざとハングリの神経を逆撫でするように、さらりと皮肉ってみせた 「何言ってるの?アタシは何もしてない。何も考えずに突っかかってきたあなたがバカなだけ・・・」 すると、たかが小娘ごときにいいように言われたハングリはつい、カッとなる 『この野郎・・・!言わせておけば・・・!』 激情に任せてハングリは拳の痛みも収まらぬ内に氷の壁を飛び越え、再びマイハに殴りかからんとした ところが、勇んで壁を乗り越えたものの、ハングリの目の前には再び分厚い氷の壁が・・・ 『な・・・ナメやがって!』 またいちいち壁を乗り越えるのも面倒・・・と思ったハングリは、今度は壁の端まで行ってマイハの脇に回り込もうとした しかし、その行き先にまたまた氷の壁が現れたではないか? 『な・・・!?』 前方と左右を遮られたハングリはハッとなる もしや、後ろも・・・ そう瞬時に判断したハングリは後ろを振り返ることなく、マイハに気取られぬようその場からバックジャンプをする だが、遅かった。ハングリの背中には、硬くて冷たい氷の壁がぶつかったのだ そして、そうこうしている内に、やがて上空すらもあっという間に凍りつき、分厚い天井が出来てしまった 「完全封鎖・・・もうあなたはカゴの中の鳥よ。794ウグイス『閉庵鏡』!」 まさにあっという間の出来事だった 圧倒的な暴力と狡猾な頭脳で4人を攻略したハングリであったが、一番与し易し・・・と考えていたマイハにあっさりと罠に嵌められてしまった それにしてもこの土壇場で際立つのは咄嗟の機転でピンチを切り抜け、一瞬の魔法でハングリを寄せ付けず封じ込めたマイハの頭脳と魔法力 極限の重圧と怒りが彼女を“覚醒”させたのであろう― ハングリを“氷の牢獄”にぶち込んだマイハは、そのままハングリにトドメを刺すものと思われた だが、そのままクルリと踵を返し、傷ついたマァとゴトーの元へと向かっていった 『お、おいっ!?どういうつもりだ!?』 マイハの不可解な行動に、ハングリも思わず叫んでしまう しかし、マイハはその叫び声など構わず2人の元へとたどり着き、手当てを始める 『おいっ!?おいって!?』 分厚い氷の壁をガンガンと拳で叩くもびくともしない・・・ 『くそっ!ふざけやがって!おまけに冷えてきやがる・・・』 閉ざされた空間の中、充満する冷気にブルブルっと身を震わせながらハングリは悪態をついてみせる だがしばらくして― (・・・ん?まさか・・・そんな!?) ハングリは自分の発した何気ない“一言”にマイハの真意を気付き、背筋が凍りつくような戦慄を覚えたのだ 『やってくれやがる・・・!』 ハングリは気付いたのだ。マイハがトドメを刺さなかった理由が いや、正確には『刺す必要がなかった』と言い換えた方が良い 今、ハングリの閉じ込められた“氷の牢獄”・・・その密室の中は氷の壁から放出される冷気が徐々に逃げ場のない室内に充満・蓄積していくのだ それは謂わば魔法によって作り出された“冷蔵庫”― その中に居るハングリは果たしてどうなるのか?それは言わずもがな“凍死”である ハングリはそれを察知したのだ このまま手をこまねいていてはこの“氷の牢獄”が“氷の棺”になってしまう・・・それだけは、絶対に避けねばならない そう悟ったハングリは全ての力を解放して、牢獄からの脱出を決意した そして一方、マイハの方は黙々とマァとゴトーの手当てを進めていた 「うぅ・・・ケホッ!?ケホッ!?」 「マァ・・・」 気付け薬を飲ませ、意識を取り戻したマァの顔を心配そうに覗き込む 「あぁ・・・マイハか?どうなったんだ?」 「アイツなら、アタシがあの中に閉じ込めたの」 気絶している間の様子を尋ねるマァに、マイハはハングリを閉じ込めた“氷の牢獄”を指差す 「おぉ・・・よくやったな!とゆいたい」 心配していた結果とは真逆にマイハがハングリを封じ込めたとあって、マァは笑みをこぼす だが、同じく手当てを受けていたゴトーは神妙な顔つきのままだ 「ゴトーさん?どうしたんですか?」 ゴトーの浮かない顔に気付いたマァが声をかけると、ゴトーは2人に向かって言った 「油断するなよ。アイツは・・・いや、ヨッシーは元『暁の乙女』の隊長を張ってたんだ。あれくらいでくたばるタマじゃない ホラ、見てみな・・・アレを」 ゴトーの指差した先には“氷の牢獄”であり、その分厚い氷の壁の中、精神統一しているハングリがいた そこには必死の悪あがきなどない。脱出を諦めていない者の姿だ そのハングリの様を見て、マイハは 「困りましたね。目一杯あがいてもらって体力を消耗して欲しかったんですが・・・」 と、ポツリと言った 「え?」 マァには、マイハの一言が意外だった マイハの言葉通りだと、マイハは最初からハングリがあの堅固な“氷の牢獄”から脱出することを想定していたことになる ハングリを封印した・・・と喜んでいた自分とは大違いである 「マァはまだ完全じゃないし、ユリーもチーも手当てしなきゃいけない それに・・・ゴトーさんの剣が折れちゃいましたよね・・・」 時間が経ってハングリが“氷の牢獄”から脱出したら、再びハングリと戦わねばならない しかし、味方がこの有り様では・・・ マイハが暗い顔をしていると、ゴトーが先程とは打って変わって明るい口調でいった 「大丈夫だよ。もうそろそろ“切り札”がここに届く頃だから」 「へ?」 ゴトーの言葉にマァとマイハは耳を疑った “切り札”・・・ゴトーの自信たっぷりの口調から、かなりの“とっておき”であることは違いないであろう ・・・が、何故、それを今になって使おうとするのか?そもそも何故、最初からハングリ相手に使わなかったのか? そんな疑問がマァとマイハの頭の中をぐるぐる回っているその時、どこからともなく間の抜けた声が聞こえてきた 「刀〜!刀あったよ〜!」その声がする方をマァとマイハは素早く振り向いた 聞き覚えのある声。だが、“彼女”が何故、ここに・・・? 最初は豆粒ほどだった人影が、徐々に大きくなるにつれて人影の正体がハッキリしてきた 「ゴトーさん、お待たせしましたぁ!」 「「ナッキー!?」」 マァとマイハは呆気に取られた 人影の正体―それは旧知のナッキーだったのである だが、何故ナッキーだったのか?2人には全くわからなかった 首を傾げる2人をよそに、ゴトーはナッキーに“例の件”を尋ねた 「ナッキー?アレ、持ってきてくれた?」 「えーと、この刀・・・ですね?一目でわかりました!」 「お!これこれ!まさかこんなことになると思ってなかったから、部屋に置いてきたんだ!」 そう言ってゴトーはナッキーから受け取った刀を手にすると、満足そうに笑みを浮かべた 鞘からスラリと抜き放ち、二度、三度と素振りをしてみる 「スゴい・・・」 ゴトーの軽やかな剣捌きもさることながら、マァとマイハの2人は輝かしい刀身に目を見張った マァとマイハがしばしゴトーの剣捌きに見とれていると、2人にナッキーが声をかけてきた 「あの・・・」 「ん?」 「あの・・・その、ええと・・・」 ナッキーが何か言いたそうにしている。しかし、言いにくいのか、もじもじしてなかなか質問を切り出せないでいる (・・・もしかして!) 質問をなかなか切り出せないでいるナッキーの気持ちを読み取ったのか、マイハは言葉少なにあさっての方向を指差し、こう言った 「ユリーなら、あそこに倒れているわ。手当てしてくれたら助かる」 その一言を聞いた途端、ナッキーの顔色がパァァ!と明るくなっていった 「あそこね!ありがとう!」 お礼もそこそこにナッキーは負傷したユリーナの元へ駆け出していく その走るスピードの、なんと速いことか?明らかに常人離れしている・・・ 「行っちゃった・・・」 「まるで馬みたいだとゆいたい・・・」 2人がナッキーのスピードに呆然としていると、ゴトーがポツリと言った 「速いな・・・風の神の加護を受けてるだけのことはある・・・」 「えっ?」 「ん?知らなかったのか?あの娘はどうやら風の力があるみたいなんだよ あの常人離れした足の速さもその賜物さ!」 初めて聞くナッキーの足の速さの秘密に、2人は二度呆然とした 「だからあの娘にこの剣を取りに行くお使いを頼んだワケなんだけどね」 「ハァ・・・そうですか・・・」 「よし!じゃあそろそろウチらもハングリ退治の準備でもしておくか!」 念願の愛剣を手に入れたとあって、すっかりゴトーは意気揚々である 確かに素晴らしい剣というのはマァとマイハの素人目にもわかるのだが、たかが剣一本である ここまでの喜びようは一体・・・? 「・・・?」 「マァ・・・どうしたの?」 「いや・・・でも、似ている・・・」 「ねぇ、マァってば?」 「あ、あぁ・・・ちょっと考え事をしてただけだとゆいたい・・・」 「・・・変なの」 急にボーッとしたマァをマイハは訝しがる (でも・・・ホントにそっくりだ・・・) ゴトー達3人が態勢の立て直しにかかっている頃、ナッキーはようやくユリーナの元へたどり着いた 「ユリー・・・大丈夫?」 昏倒しているユリーナの顔を、ナッキーは心配そうに覗き込む 「ねぇ?起きて?しっかりして!」 ぐったりとしているユリーナの身体をゆさゆさと揺さぶってみる しかし、なかなか目を覚まさない 「ダメか・・・じゃあ・・・」 なかなか起きないユリーナに業を煮やしたナッキーは懐から小さな瓶を取り出し、その中に入っている液体を口に含んだ そしてそれを、気絶しているユリーナに口移しで飲ませ始めた 口の中の液体が少しずつユリーナの喉を通る内に、やがてユリーナの口から声が洩れてきた 「ん・・・んん・・・?」 唇になんだか柔らかくて、温かい感触がする・・・ 喉に流し込まれた液体のせいか、ユリーナはようやく少しずつ意識を取り戻していく・・・ だけど、その目覚めは刺激的過ぎて― うっすらと目を開けたユリーナの目には、居るハズのないナッキーのドアップの顔が飛び込んできた それだけでも驚きなのに、おまけにユリーナの唇がナッキーの唇で塞がれているではないか!? 「ん゙ーーーっ!?」 気絶していたため、ここまでの経緯を知らないユリーナは、唇を塞がれたまま絶叫をした 「ぷはぁっ!」 ユリーナが暴れた拍子に2人の身体の距離が離れた 「な、な、な、な、ナッキー!?」 気が動転するあまり、ユリーナの声が完全に裏返ってしまっている しかし、最愛の人の無事を確認したナッキーはそんなこともお構い無しにユリーナの胸に飛び込んでいった 「・・・よかった!」 愛する者の温もりは、時として人に安らぎをもたらすという。ユリーナもナッキーの抱擁に次第に落ち着きを取り戻していった 「ねぇ、ナッキー・・・みんなはどこ?無事なの?」 気絶したのが戦闘中だったことを思い出したユリーナはまず味方の安否を尋ねた 「大丈夫。みんな無事よ。でも、まだ敵は倒してない・・・」 「そっか。じゃあ行かなきゃ!」 そう言ったユリーナの耳に、ナッキーの思いがけない一言が飛び込んできた 「アタシも・・・闘う!!」