「な・・・なんですって!?」
アヤヤの衝撃的な言動に、ミヤビは愕然となった
目の前にいるアヤヤが以前とまるで別人のようなこと、そして何よりりしゃこを“器”と言ったこと・・・
ミヤビの心中に突如、言い知れぬ恐怖の感情が沸き起こってくる・・・
急に背筋どころか全身が凍りつくような感覚に陥る・・・
なぜそんな感情や感覚になったのか・・・それは直後のアヤヤの言葉で悟った

『おや?どうやらワタシが誰だか気付いたようだな・・・
はじめまして、とでも言うべきかな?
そうだ、ワタシがマヤザックだよ・・・』

アヤヤ、いや『マヤザック』のあまりにも唐突且つ衝撃的な発言に、ミヤビは瞬時に思考停止状態に陥ってしまった
『ん?どうした娘よ・・・ワタシを火傷させるんじゃなかったのか?』
『マヤザック』の挑発にようやく我に返ったミヤビ・・・だが、心は激しく動揺していた
無理もない・・・今、自分の目の前にいるのが、かつてハロモニアを亡国の危機に陥れた『マヤザック』なのだから
それも復活するまで時間があると聞いていたハズなのに・・・なぜ!?
身体が硬直したまま動かない・・・恐怖がミヤビの身体を支配してしまっている・・・

その時だ
「ミヤビッ!なにボーッと突っ立ってんの!?」

「!!」
言い知れぬ恐怖に立ち竦んでいたミヤビが背後からの叫び声に我に返った
ふと振り返ると、声の主は観客席の最前列に陣取ったサキであった
「サキ・・・」
「ミヤビッ!早くりしゃこをっ!」
サキのいつにない弱々しい叫び声に事態の深刻さを感じたミヤビは、急いで視線をりしゃこへと走らせた

「あっ!」
ほんの数十秒目を離していた間にりしゃこは地面に臥していた
「りしゃこっ!」
胸が締め付けられ、声にならない声でミヤビは絶叫した
しかしりしゃこにはミヤビの声が届いていないのか、ピクリとも動かない・・・
『クックックッ・・・どうやらあの娘は我が“器”に相応しいようだ・・・
ミキの奴め、そんなにムキにならずともよいものを・・・
まぁ仕方ない・・・あ奴に流れている野生の獣の血が騒いでしまったのならな・・・』
「くっ・・・!」
嘲笑うかのように吐き捨てたマヤザックにミヤビは激しい怒りを覚えた
『ん?悔しいのか?なら己の無力を呪うがいい・・・
クックックッ・・・フハハハ・・・ハァーッハッハッハッ!!』

アヤヤ、否、マヤザックの勝ち誇ったような笑い声が闘技場内に響き渡る

「えっ・・・!?」
「ど・・・どうなってんの!?」
いつものアヤヤの声色と違う笑い声に、サキ達、ゴトー達はアヤヤの“異変”に気付いた

まさか!?と思い、サキはミヤビに問いかけた
「ミ、ミヤビッ!?」
しかしミヤビは目の前のアヤヤを凝視しながら振り返ることなくサキ達、ゴトー達に向かって絶叫した
「みんな・・・コイツが・・・コイツがマヤザックだよっ!!」

ミヤビが絶叫した瞬間、今まで試合で賑わいでいた観客席が水を打ったかのように静かになった・・・
無理もない・・・かつてハロモニアを存亡の危機に陥れた邪神・『マヤザック』―
忌み嫌われ、口にすることすら禁忌とされたその邪神の名前が突如、ミヤビの口から飛び出したのだ
観客の誰もが恐怖に打ち拉がれたのだ

重く冷たく、淀んだ空気の中での静寂が心地良いのか、アヤヤことマヤザックが高らかに言い放った
『フハハハハハ・・・!おや?どうしたんだ?そんなに我が怖いのか?
そう・・・我がこのハロモニアを造りし者、マヤザックだ・・・!』

静まり返った闘技場内に、マヤザックの憎々し気な声だけが響く・・・
『クックックッ・・・どうやら言葉が出ないようだな・・・
まぁ、ハロモニア随一の戦士として名高いアヤヤが、まさかワタシの“下僕”、そして“傀儡”だったなんて悪夢としか言い様がないからな!
クックックッ・・・フハハハハハハ!』
絶望した観客を見回し、マヤザックは満足気な笑みを浮かべ高笑いする
それでも観客は凍りついたかのようにピクリともしない・・・
それは正に、人々の心が完全に“恐怖”に囚われてしまった姿であった

『フハハハ・・・!さて、余興はここまでにしようか・・・』
観客が絶望に打ち拉がれる姿に満足したのか、マヤザックは再び饒舌に語り出した
『みなの者、見てるがよい!このワタシの復活を・・・』
「ふざけるなっ!」
何者かがマヤザックの言葉を遮った
『ん?・・・何者だ?』
せっかくの弁舌を遮られ、マヤザックが不快な表情で声のした方へと振り返った
「誰が・・・誰がそんな勝手なことさせるもんですかっ!!」
みると、ミヤビが身体を震わせながら絶叫していた
「あんたなんかに、りしゃこを渡すワケにはいかない!・・・絶対っ!」

『ほほう・・・小娘風情が!ずいぶんワタシも舐められたものだな・・・』
不敵な笑みを浮かべながらマヤザックがミヤビを凝視する
まるで射るような冷たく暗い視線―並みの人間であれば恐怖に囚われ、身動きはおろか、言葉すら発せられなかったであろう・・・
しかし、こともあろうかミヤビは邪神・マヤザックを睨み付け、尚も絶叫した
「あんたなんかにりしゃこは渡さない・・・絶対っ!!」

『フン・・・!』
マヤザックは尚もミヤビを舐め回すように見つめる
やがてマヤザックはミヤビの臆することなく立ち向かおうとする姿勢、瞳に宿った闘志に愉悦の表情を浮かべ、言い放つ
『面白い!なら試してみるがいい!お前のその心を折って、絶望の淵に叩き込んでやるわっ!』
アヤヤの身体を借りたマヤザックが、棍をスッと身構える
ミヤビも真紅の杖をスッと身構える
そして杖を大きく水平に凪いだ!
「退きなさいっ!」
杖の軌道の後を追うように炎の刃が走る!
『おおっと!』
ミヤビの一連の動作から危険を察知したマヤザックは大きくバックステップして炎の刃を躱す
と、同時に手にした棍でミヤビを打ち据えようとした

だが、マヤザックが棍を振り抜くより早く、ミヤビが呪文を解き放っていた
「行けっ!『ほのまら』っ!」
ミヤビの手のひらに宿った炎の玉が蛇頭を為し、やがて鎌首をもたげてマヤザックへと一直線に突き進んでいった!
『くうっ・・・』
攻撃の動作に入っていたところへ先手を打たれてしまったマヤザックには
ミヤビにカウンターを仕掛ける余裕はなく、紙一重で躱すのが精一杯だった

しかし、ミヤビの攻撃の手は緩むことはなかった
「追えっ!『ほのまら』っ!」
ミヤビの手から放たれた炎の蛇はマヤザックに躱された後も踵を返し、再びマヤザックを付け狙い始めた
『キシャアアアッ!』
叫び声とともに『ほのまら』はまたも鎌首をもたげては二度、三度とマヤザックに襲いかかる
『チィィィィッ!こしゃくな!』
執拗な『ほのまら』の追撃に嫌気が差したマヤザックは忌々し気に吐き捨て、受けて立つ構えを見せた
その一瞬の隙をミヤビは見逃さなかった
「頼んだわよっ!『ほのまら』っ!」
『ほのまら』でマヤザックを釘付けにしたミヤビはりしゃこの元へと駆け出した!
(りしゃこ・・・今すぐ行くからっ!)

『くっ・・・!』
まんまとミヤビに隙を突かれたマヤザックは忌々し気に吐き捨てた
・・・が、その言動とは裏腹にまたしても薄ら笑いを浮かべ、独りごちた
『フン・・・まあせいぜいするがいい・・・ムダな努力というヤツを・・・』

一方のミヤビは後追いしてこないマヤザックを不思議に思いながらも、ものの十数秒でりしゃこの元へとたどり着いた
「りしゃこっ!・・・りしゃこっ!・・・しっかりしてっ!」
ぐったりと地面に這いつくばるりしゃこを抱え起こし、ミヤビは必死に呼び掛ける
「・・・ミヤ!?」
かすれた声で返事するりしゃこを、ミヤビはギュッと抱きしめりしゃこを労る
「ゴメンね、遅れちゃって・・・」
「ううん・・・ミヤ、ゴメンね・・・アタシが勝手なことしたから・・・」
自分の暴走から招いたピンチ、という自覚からか、りしゃこは俯き加減だった
しかし、ミヤビはりしゃこを責めなかった
そして、優しく語り掛けた
「やられたんなら、またやり直せばいいじゃん?
・・・早く、アイツらをぶっ飛ばそ?」
ふと見ると、ミヤビの身体が微かに震えていた
りしゃこは悟った・・・ミヤビだってホントはあの二人が怖いことを・・・
だからりしゃこはミヤビに微笑んでみせた
「じゃあ、一緒にぶっ飛ばそ!」

傷つきながらも心折れることなく立ち上がるりしゃこ達・・・
いつもであれば、観客席から拍手のひとつや声援のひとつが起こる場面のハズだった
しかし、今、観客の心を支配しているのは邪神・マヤザックの恐怖・・・拍手や声援など望むべくものではなかった
だが、不意に小さい拍手が起きた・・・

『クックックッ・・・なかなかいい根性をしている!』
見ると、マヤザックがりしゃこ達を茶化すように拍手をしていた
そして、りしゃこを指差し問いかけた
『お前・・・まだワタシとやり合うつもりなのか?いくらやってもムダだと言うのに!』
マヤザックの言葉にりしゃこは一瞬たじろぎ、言葉を詰まらせた
「りしゃこっ!?」
ミヤビが心配そうにりしゃこの顔を覗き込む
マヤザックの言葉で心が折れてしまわないか?・・・それが気に掛かったのだ

だが、それは取り越し苦労に終わった
「やってやる!・・・勝つまでやってやる!・・・みんなとの、約束だから!
優勝して・・・みんなで幸せになるって決めたんだから!」
ミヤビ同様、強い意思と決意を秘めた眼差しにマヤザックはまたも満足そうな笑みを浮かべる
そして突如、りしゃこ達にとんでもないことを口走った

『クックックッ・・・面白い!実に面白い!お前達はワタシが神だということを解っておりながら、尚も抗おうというのかっ!
・・・よかろう。なら、お前達の無謀な・・・いや勇気ある挑戦にワタシからの“プレゼント”だ
この試合、今後ワタシは手出ししない・・・そう、そこにいるミキ帝と1VS2で試合したまえ
もし・・・もしも、だ。万に一つでもお前達がミキ帝に勝つことが出来れば、その時はお前達の勝利にしてやろう・・・』

とんでもない“提案”であった
マヤザックはりしゃこ達にハンディキャップをくれてやる、というのだ
しかし、マヤザックが自らを窮地に追いやることをするのであろうか?
罠か?いや、それともミキ帝に全幅の信頼を寄せているのであろうか?
いや、それ以前に、この“提案”はりしゃこ達には屈辱ではなかろうか?

様々な感情や思考が入り交じって煩雑になる・・・
ミヤビは暫し迷った
だが、りしゃこは迷わなかった
「受けて立つよ!」

「ちょっと!りしゃこ!?」
傍にいたミヤビは唖然とした
この重大な決断の場面でのこの即答は、あまりにも性急すぎやしないか?と
しかし、りしゃこは言った
「ミヤ、ゴメンね・・・でも、もう決めたじゃない?
『二人でアイツらをぶっ飛ばそう!』って!」

「うん・・・そうだね」
試合前とは違うりしゃこの固い決意にミヤビも頷き、肚を括る
「よし!やろう!」
「うん!」

その後、おもむろに立ち上がったミヤビはマヤザックを指差し、きっぱりと言い放った
「じゃあ、改めてその挑戦・・・受けて立つよ!」
ミヤビの言葉にマヤザックはまた愉悦の笑みを浮かべながら、二人に拍手した
『クックックッ・・・面白い!実に面白いねっ!
絶望を知らない子供の無謀というのは実に面白い!
ワタシは好きなんだよ・・・絶望を知らない子供が絶望を悟る瞬間、というのがね・・・』
マヤザックの嘲笑の奥に潜む冷たく暗い眼光が二人に容赦なく突き刺さる
・・・が、二人はそれにも怯まなかったどころか強く、より強く睨み返す
すると、二人の強い意思を秘めた眼差しがマヤザックの残虐性を刺激したのか、嘲笑から一転、驚くほど冷めた表情に変わった
と、同時に怒気を含んだ口調でりしゃこ達に言い放った
『舐めるなガキがっ!』
その、重く冷たい一言にはりしゃこ達も思わずビクッとなってしまった
それでも狼狽えない二人に、マヤザックがあることを告げた
『よかろう・・・そんなに早く絶望したいのなら、大きな苦痛とともに味わうがよい!』

りしゃこ達にそう告げたマヤザックは、脇に控えていたミキ帝を一瞥する
と、何かを思い浮かんだような顔つきになった
そして暫く思案した後、再びりしゃこ達に告げた
『さて・・・おしゃべりもここまでだ・・・
そろそろ試合を再開するとしようじゃないか・・・
確か・・・ワタシはお前達にミキ帝との1VS2のハンディキャップを申し出たんだが・・・
ただ、お前達にハンディキャップをくれてやったところで面白くも何ともないから・・・』
マヤザックはそこで言葉を途切らせた
勿体ぶったマヤザックの物言いにじれそうになったが、りしゃこ達は静かに言葉を待った

そして、マヤザックはりしゃこ達を静かに見据えてこう告げた
『こちらは“封印”を解かせてもらうことにするよ!
さあミキ帝・・・お前の“真の姿”、そして“真の力”をここにいる皆の者に見せつけてやるがいいっ!』
そう言い終えるとマヤザックは虚空に手をかざし、なにやら呪文を詠唱し出す・・・
すると、不可解なことに昼間の晴天が突如として暗闇の夜へと変貌した
その暗闇の中、人々を照らしつけるのは・・・真っ赤に染まった満月であった・・・

その血に染まったかのような真っ赤な満月が、ミキ帝の内に秘められた狂気を駆り立てた!

「うう・・・ううぅ・・・うわあああああああーっ!」
真っ赤な満月が視界に入った途端、ミキ帝はわなわなと身震いを始め、大声で絶叫した
そして頭を抱えて悶絶する・・・
ミキ帝が悶え苦しむその間、あまりにも衝撃的な光景に、観客も、そしてりしゃこ達も言葉を失くし、ただ立ち尽くすのみであった

すると突如、ミキ帝が再度絶叫した
いや、絶叫ではない・・・咆哮したのだ!
「!!?」
ミキ帝の咆哮に、りしゃこ達は思わず怯んでしまった・・・
それはきっと、ミキ帝の“本能”が解放されたのを肌で感じ取ったからであろう
やがて咆哮を終えたミキ帝は、改めてりしゃこ達に向き直った
そして顔を上げた瞬間、闘技場内が恐怖に凍てついてしまった
観客の、そしてりしゃこ達の目に映ったのは、もはやミキ帝ではない、狼の姿をした半獣人であった

「えっ!?う・・・嘘!?」
「そんな・・・!?」
りしゃこ達は知らなかったミキ帝の本当の姿に驚きを隠せず、そう呟くのが精一杯であった


ミキ帝が狼の半獣人であった・・・
その衝撃的な事実に、観客も、そしてりしゃこ達も言葉を失い、立ち竦んでしまった
ただ、ミキ帝が半獣人だったからではない
そう、ミキ帝が「狼の」半獣人であったからだ

実は今でこそ平和なこのハロモニアでも、“黒歴史”なるものがあった
それが、“半獣人の迫害”である―

もう数百年も過去の伝承の話―
昔、ハロモニアの人々と邪悪な者との戦いが起きた
その時、尋常ではない強さで人間達に汲し、人間達を勝利へと結びつけた種族があった
それがミキ帝のような“半獣人”であった
彼らの持つ圧倒的な身体能力と戦闘能力は邪悪な者達を大いに苦しめ、殲滅した、と伝えられる
そういったこともあって、戦乱が終わってから後の長い間、人々は彼ら半獣人への畏怖と感謝の念を忘れることはなかった
だが、やがてその畏怖と感謝の念は長い時の中で消え去り、忘れ去られていった・・・
そして、今から遡ること十数年前・・・悲劇が起きた―
再び人間達と邪悪な者との間で戦いが発生、結果はまたも人間達の勝利で幕を閉じた
しかし、前回と決定的に違ったのは、半獣人達は人間達と邪悪な者との戦いを静観し、どちらにも汲しなかった点である

半獣人達が汲しなかったせいか、戦いの後の人間達の被害はかなり甚大であった
そして怒りや悲しみといった“負の感情”も・・・

そしてしばらくして、ある歴史学者が過去の文献から前の大戦での半獣人達の活躍ぶりを発見した
やがてそのことは広くハロモニアに知れ渡ることになる
すると、心ない者達が、静観した半獣人達を悪く言い始めた
それが噂に尾鰭が付いて、最終的には『半獣人達は先の大戦に邪悪な者達に汲した』となってしまう

人間というのは、その時の感情や大衆の情勢に流されてしまう、そんな弱い生き物である
マジョリティ(多数)であることをいいことに、マイノリティ(少数)である半獣人達に怒りや悲しみの捌け口を求め出したのだ
それから、というものの、人間達による半獣人達への弾圧は長く続き、一部では『半獣人狩り』までが行われていた
裏を返せば、それだけ人間達は自分達より優れている半獣人達を恐れていたことになる
今でこそ当時のような『半獣人狩り』や迫害はないものの、依然として半獣人に対する偏見は根強く残っている
と、同時にその迫害の“黒歴史”があったからこそ、人々の心の中には半獣人に対する後ろめたさも残っていた

その、かつて自分達が虐げてきた半獣人・・・
それも『半獣人狩り』によって絶滅したとされていた『狼族』の生き残りが目の前に現れたのだ
自分達を絶滅に追いやった人間達に対する憎しみは果たして如何ばかりか?
そして、観客が言葉を失くしたのは、『狼族』が半獣人の中でも“最強ランク”であったからだ
おまけにミキ帝はハロモニアを護る“盾”である『暁の乙女』の元・隊長となれば、その戦闘能力は推して知るべし
『もしミキ帝が自分達に復讐の牙を剥いたら・・・?』
喩え「身から出た錆」とはいえ、その想像したくもない“悪夢”を観客は即座に想像してしまったのである・・・

何もかもが凍りつき、時間さえもが止まってしまったかのような空気の中、不意に『狼』と化したミキ帝が咆哮した
『ウオォォゥゥゥーーッ!!』
決して“仲間”から返ってくることのない孤独な咆哮が闘技場に響き渡る
そのどこか悲しげな“叫び声”が、観客の心を締め付ける
ましてや、観客よりずっと近くにいるりしゃこ達には、より強く心に響く

そして・・・ミキ帝の咆哮とともに、止まっていた時間が動き始めた―

ビュン!!

時が動き出した直後、風切音とともに黒い疾風がりしゃこ達の傍を走り抜けた!
そして―

ドサッ・・・
「・・・ミヤッ!?」
りしゃこと並んで立っていたハズのミヤビが、黒い疾風が走り抜けた直後、地面に崩れ落ちたのだ
まさに一瞬の出来事であった
りしゃこには走り抜けた黒い疾風―ミキ帝の動作が全く見えていなかった
地面に臥したミヤビを見たりしゃこの全身を、瞬時に恐怖と戦慄の感情が駆け巡る
そして、やがて恐怖が心を支配し、心を支配された肉体は金縛りにあい、自由を奪われてしまう・・・

「マズイッ!」
入場ゲートからりしゃこ達の試合を冷静に見守っていたハズのゴトーが、初めて思わず叫んでしまった
「もう・・・“アレ”を使うしかないべさ!」
そしてゴトー同様ミキ帝の危険性を察知したアベナッチが、何かを呟いた
「ナッチ!“アレ”は!?」
「わかってる!“アレ”があの子の身体にすごい負担をかけるのはわかってるべ・・・」
「でも・・・」
「でももストもないべさ!今使わないと・・・今ミキ帝に勝たないと意味がないっしょ!?」
珍しくアベナッチが語気を荒ららげる
その剣幕にさすがのゴトーも押されてしまう

アベナッチの言ってた“アレ”とは?
・・・それは二人のやりとりがあったその直後に判明した

「!!・・・ナッチ!ちょっとヤバいっ!」
「えっ?」
突然ゴトーに呼びかけられたアベナッチは素早くゴトーの視線の先を目で追う
すると身動き一つ取れなくなったりしゃこに、魔人と化したミキ帝がトドメを刺さんと襲いかかろうとするまさに直前だった
「りしゃこちゃん、ゴメンね!ちょっとしんどいかも知れないけど我慢して!」
そういうと、アベナッチは即座に摩訶不思議な動きを始めた
「ナッチ!」

ビュン!!
ゴトーが言葉を発したその直後・・・またしても黒い疾風が風切音を残してりしゃこの傍を駆け抜けていった!
「きゃああああっ!」
一部の観客が声にならない声で絶叫した
誰もがミヤビ同様りしゃこが地面にひれ伏すことを予感したから思わず絶叫してしまったのだ
だが、それからしばらく時間が経ってもりしゃこが地面にひれ伏す音は聞こえてこなかった
観客が見たもの・・・それはミキ帝の見えない瞬撃を凌いで踏張っているりしゃこの姿だった
「ナッチ!」
「ふう・・・なんとか間に合ったべさ!秘奥義・『息を重ねましょう』が・・・」

「りしゃこっ!」
「助かったっ!」
倒れることなく立ち続けているりしゃこの姿に、静まりかえっていた会場が再び声が洩れ出した

「えっ・・・!?」
もうダメだ、と思っていたりしゃこも自身に起きた奇跡に戸惑っていた
そのりしゃこにアベナッチから檄が飛んだ
「りしゃこちゃんっ!しっかりするべ!」
「アベさん・・・」
「いい?りしゃこちゃんにナッチが『術』を使ったから、防御の心配はしなくていいから!
でも・・・『術』は身体への負担がひどいから早くケリをつけてっ!」

「わかったもん!」
アベナッチの檄に振り向かずにりしゃこは答えた
目の前にいるのは一瞬の隙も見せられない強敵・・・じっと睨み据えながらりしゃこは高速詠唱を始める
一方、りしゃこに起きたまさかの奇跡にマヤザックは思わず
『チィィ!ここまできたのにあの小娘、邪魔しおってからにっ!忌々しいっ!』
と吐き捨てた

流れは僅かながら変わった―
アベナッチのサポートを受けたりしゃこは目の前にいるミキ帝撃破だけに神経を集中させる
高速詠唱が進むにつれ、りしゃこの周りの空気がみるみるうちに変化していくのが感じ取れる
その完成されつつある呪文に、ミキ帝が“待った”をかけにりしゃこに向かって突進した!

ビュン!!
再び黒い疾風と化して、ミキ帝はりしゃこの傍を駆け抜けた!

静まりかえる闘技場・・・
観客は再び奇跡が起きるのか、それともミヤビ同様地面に臥すのか、固唾を呑んでりしゃこの様子を見守っていた
しかし、その“答え”を待つことなく、ミキ帝がりしゃこを追撃する!
『ウオオオォォォーーッ!!』
雄叫びとともにりしゃこの背後から襲いかかるミキ帝!だが、即座に反応し、防御するりしゃこ!
ヒュン!!ヒュン!!ヒュン!!
ミキ帝の鋭利な爪がりしゃこの身体を切り刻まんとする!だが、りしゃこは紙一重でそれを躱す!
もちろんそれは、アベナッチがりしゃこの身体をさながらリモコン操作する秘奥義・『息を重ねましょう』のおかげである
ただ、りしゃことアベナッチの能力差、加えて意図せぬ動きをすることから通常より体力を消耗するデメリットもある
早くケリをつけないと・・・りしゃこがそう思っている矢先にミキ帝の攻撃を避けた拍子にミキ帝の隙が出来た!
「りしゃこちゃんっ!今だべさっ!」
興奮気味のアベナッチの声がりしゃこの耳に飛び込んでくる
その直後、ミキ帝の前にかざした手から呪文が解き放たれた!
「逝けっ!『フェニックス・エクスプロージョン』ッ!」

りしゃこの手から勢いよく燃え盛る炎の鳥が解き放たれ、至近距離にあったミキ帝に見事直撃した!
その勢いたるや、直撃したミキ帝はおろか、術者のりしゃこまでもが反動で吹っ飛んだ程であった
「やったっ!」
「よしっ!」
強者・ミキ帝への見事なまでの会心の一撃に、アベ・ゴトーの口から思わず快哉の声が洩れてしまう

りしゃこの魔法を至近距離で受けて、地面に臥したままピクリとも動かないミキ帝・・・
今までの暴走がまるでゼンマイが切れたブリキのオモチャのようにピタリと止まってしまった
絶望の淵に叩き込まれた中に見えてきた一筋の光明、とはまさしくこのことであろう・・・
動かないミキ帝を見て、観客がにわかづき始める・・・もしかしたら、ミキ帝はもう戦闘不能になったのではないか?
だが、観客のその予感は僅か数秒後には粉々に打ち砕かれてしまった

「ウソ・・・!?」
信じられないものを見たかのように、りしゃこは思わず呟いた
ミキ帝が、少しずつ、動き始めているのだ
あれだけのとっておきの魔法をぶちかましたのにも関わらず、尚も戦うことを止めないその闘争本能・・・
りしゃこの心に、言い知れぬ恐怖が再び沸き起こってきた・・・

りしゃこの会心の一撃を食らっても尚、戦いを止めないミキ帝の尋常ならざる肉体と精神力・・・
りしゃこの中に再び芽生え始めた恐怖心が、身体を、精神を徐々に支配していく・・・
りしゃこ自身、今こそミキ帝にトドメを刺さねばならないことを頭では理解はしている
だが、まるで金縛りにあったかのように身体が動かない・・・そのもどかしさ
このままミキ帝の復活を手を拱いて見てるだけなのか・・・
しかし、その金縛りの鎖を断ち切る言葉はりしゃこの耳に飛び込んできた
「りしゃこっ!迷っちゃダメ!」
振り向くと、よろよろしながらも懸命に立ち上がっているミヤビの姿が・・・
「もう、この人は・・・マヤザックに心も身体も支配されてる・・・
だから・・・もうこれ以上、この人を苦しめないためにも、早くトドメを刺してあげなきゃ!」

「!!」
ミヤビの訴えかけが、りしゃこの耳に、心に突き刺さった
深手を負って尚、戦おうとするミキ帝・・・それは、マヤザックに心も身体も支配された、もはや戦うだけの傀儡・・・
もし、これ以上戦うとなれば、ミキ帝の生命すら危うい・・・
その苦しみから、ミキ帝を解放しなければ・・・
そう感じた途端、動かなかったりしゃこの身体が、自然と、動き出した